エバラ黄金のタレ、というとあのメロディーが脳内を反芻する。「エッバッラ ヤキニク ノッ タッレ!」多分だけどソソソ ソソソソ ファソ ラ♭みたいな感じのメロディーだ。なぜキーがA♭なのかを考えたけど、よくわからない。芸術とはいつもそんなものだ。

家で焼肉を食うとなると、エバラ焼肉のタレが食卓に上がる家庭は多いのではないか、となんとなく思う。

なんといってもあの呪いというかサブリミナルに近いメロディーが、お茶の間でガンガンCM放映されている事を考えると、いくら上戸彩の美貌があっても「ワガヤッ ワッ ヤキニクヤッサァーンッ!」というあのテーマではエバラには勝てない。

そもそもエバラのあの曲はシンコペーションのハネ方が半端ないのである。我が家は焼肉屋さんの曲はどことなく演歌風のメロディーで野暮ったい。エバラのキレのあるシンコペーションはまさに絶好調のチャーリー・パーカーの如しだ。よって日本国民全員があの曲に夢中になってしまうのではないかと思う。

いや、別にテーマ曲の良し悪しは関係なく、スーパーの棚でもエバラ焼肉のタレが専有している面積は大きいように思う。ちなみに肉コーナーにはジャンが置いてある傾向だ。少なくとも最寄りの西友ではそうであった。

さて、私がそもそもなぜこんな「焼肉のタレ」ごときの事をつらつらと書き連ねているかというと、レーベルのサイトにアクセスを集めるにはブログ記事を書くべきであろうという理由に他なならない。

レーベルのオーナーであるLITTLEKIT氏が一向に寄稿しない様子を見ると私ごときが微力を尽くすにほかあるまい、とも感じたからだ。

理由は他にもある。最近私は「エバラ焼肉のタレ」を買うのを辞めたのだ。もうひとつの理由は単純で、私が文章を書くことが好きで苦にならない、ということだ。

最近は我が家は焼肉屋さんに変えた

そう、自宅で焼肉を食らう際に焼肉のタレを「我が家は焼肉屋さん」に変えたのだ。そもそも実家はエバラ焼肉のタレであったからして、私は家庭で肉を焼くとなると無条件でエバラの瓶に手を伸ばしていた。

ある日妻と焼肉をしよう、という事になり近所の西友へ向かった際、妻が「タレはどれにする?」とおもむろにエバラ焼肉のタレに手を伸ばしながら囁いた。

すでにエバラに手をかけている妻。おそらく妻は私と同様に「家で肉を焼く場合はエバラ」という一種の呪い・洗脳にかかっていたのだろう。

しかし、その異常とも言える「エバラの呪縛」に対して、妻は何かを感じたのである。多分。よって私はその妻の心意気に対して「たまには違うのにしてみようか」と言ったのであった。

私達夫婦はいろいろな焼肉のタレを物色したのだが、私はとりあえず上戸彩のファンだった時代があった為、妻には上戸の事を伏せつつも「我が家は焼肉屋さんでいいんじゃないか」と言ってみた。

妻は特に異論は無い様子でそっと我が家は焼肉屋さんのプラスチック容器に手を伸ばし、私が持つカゴに商品を入れた。

我が家は焼肉屋さんの実力はいかに

さて、シンコペーションのキレではまったくエバラに勝てない我が家は焼肉屋さんなのだが、味に関しては私は好みであった。

そもそもエバラは濃すぎる。あの粘度が高く、粘度に比例して濃い味付けのアレではどんな肉でもエバラ色に染め上げてしまうのだ。そのエバラ色というのはあのキレの良すぎるシンコペーションと同様、ある意味受け取り手に思考すらさせるスキを与えないのである。

エバラの良さ、というのは実は豚肉を焼くときにあるのではないかと思う。晩飯を作るのが面倒くさいときは、豚ロースと細切り玉ねぎを炒め、エバラであえると良い。非常に素晴らしいごはんのおかずが出来上がる。

しかしだ、ちょっと奮発した牛肉を食らう時、というよりもそもそも牛肉をエバラで食ってもまったく美味しくないのだ。なのに焼肉といえばエバラ。恐ろしいマーケティングだ。

少なくとも我が家は焼肉屋さんはスッキリとしつつも甘みが強めで、牛肉の味付けには無難だ。エバラの様に強烈な自己主張が無い。

もう一度言うがエバラのタレは豚肉にはマッチする。おそらく世間のお母さんが熱烈的にエバラ支持である理由というのは、おそらく子供の弁当などをこしらえる際、豚肉にエバラをふりかけておけばなんとかなるし、エバラとは別の焼肉のタレを買うことは、通常主婦の経済観念においてはありえないのでは無いだろうか。

よって私はもうかなりの長い時間、エバラによって不味い焼肉を食っていた、とも言える。

しかし、私はエバラ焼肉のタレを憎むことが出来ない

長年私に不味い牛肉を食わせてきたエバラだが、それでも私はエバラを憎むことが出来ない。年齢不詳の淑女の声で響き渡るあのラテン調のシンコペーション。

昔母が作った弁当にはかなりの確率でエバラによって味付けされた豚肉が入っていたこと。冷めても悪くないあのテイスト。

エバラを語るのに良し悪しで語るのはナンセンスだ。エバラとは記憶である。

やはり私はエバラを憎むことが出来ない。どれだけの量の牛肉を不味く食ってきたとしても。牛肉には今のところ我が家は焼肉屋さんがベターな状況ではあるが、我が家は焼肉屋さんは残念ながら記憶にはなりえないのだ。